小説版「電脳コイル」

2007/9/15

電脳コイル 小説版「電脳コイル」を読んでます。1巻を読み終え、2巻にさしかかったところ。巻末に

※本作は、磯 光雄による原作をもとに、著者宮村優子が独自の解釈を加えて小説として書き下ろしたもので、磯 光雄監督・脚本のTVアニメーション『電脳コイル』とは、世界観・キャラクターその他の設定の異なる別作品として成立したものです。

と、わざわざ書いてある通り、アニメとはかなり違っています。1巻のお話の流れとしてはアニメ第4話までをなぞっており、ヤサコが転校してきて、イリーガルを追いかけたデンスケが失踪して、フミエと知り合って、デンスケをイサコに拉致されて、ダイチ一派がイサコに電脳イヤガラセをしかけて返り討ちに遭ってボコボコにされて、その隙にフミエもイサコとやりあって、ラストではヤサコとイサコが対決しています。ヤサコvsイサコ以外はアニメとほとんど同じじゃん、と思うでしょ。ところがそうじゃないんですよ。

 テーマが先鋭化されているというか、寂しさや不安が強調されています。アニメではほわほわなヤサコが、小説では意外に一途で強情な一面を持ち、母親に反発するなど、難しいお年頃になってます。メガばあやフミエも単純な「愉快な仲間たち」ではすまなくなってる感じ。ヤサコがコイル探偵局に入会するのを、メガばあがきっぱり断ったのは驚きました。


 世界観も大きく変わっています。電脳メガネは小学生だけが使えるもので、13歳になると使用不能になります。大人用のメガネはありません。だから、メガばあですら正規の電脳メガネを持っておらず、だからデンスケの姿もメガばあには見えないのです。メガネの冒険は、完全に子どもだけのもの。ええーッ! じゃあ、大黒市は小学生のためだけに電脳インフラを整備してんの? という疑問もわいてきますが、これについては1巻の中では説明がありません。まだ書かれていないだけで本当は合理的な説明があるのか、それとも、多少の矛盾や欠陥には目を瞑って雰囲気重視で行くのか。現時点では判然としません。

 アニメのヤサコはすぐに友達ができましたが、小説のヤサコは手探りで進んでいます。本作はSFであると同時に、第二次性徴期、じゃなくて思春期の苦悩や不安を題材にしたジュブナイルとなっています。←いちいちエロい単語を強調すんな(^^;。

 ところで、1巻冒頭のプロローグ、僕は文中の「わたし」が誰なのか完全に誤解していました。「あれ?」と思ったもののそのまま読み進め、2巻の冒頭に達して初めて分かりました。そう来たか〜!

 しっかし、大人用の電脳メガネがないって、ストーリー展開に大きな足枷となる設定だと思うんだけど、どうするんだろ? その意味でも先の展開が気になります(笑)。

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